先日、西新の修猷館高校裏にある小道を歩いているとこんな看板がありました。
元寇防塁についての説明文と防塁が築かれた場所の地図が載った歴史看板でした。
一度目の元寇の後、二度目に備えて鎌倉幕府が九州各地の御家人に命じて防塁(石で積み上げた防御壁)を築いたのは、中学の社会科で学んだような気がしますが、その範囲が東は香椎から西は糸島までのこんな広大な規模とは知りませんでした。
(実際の地図には防塁が築かれた場所が赤線で表記されているのですが、この写真では不鮮明でよく見えません。)
今から800年ほど前に、遠く鎌倉の地にあった幕府にもかかわらず、その権力が九州にまで及んでいたことに驚きます。
あと余談ですが、この地図を眺めると海の中道や志賀島、能古島が博多湾を守る自然の堤防になっているのですね。
(参考:「西新町」とは福岡市早良区にある街。
市の中心部からは少し離れているけれど若者で結構賑わっている街だから、東京で言うと吉祥寺、下北沢あたりのイメージかな。知らんけど)
(「修猷館高校」は県立高校で、県内トップクラスの進学校であり、元は福岡藩の藩校とのこと。
OBには広田弘毅元総理大臣、ラグビーの下川甲嗣選手、芸能人では井桁弘恵さんなど。)